早稲田大学で行われた緊急集会の報告


6月20日(土)、「マスコミが報道しなかったイルカ問題の真実――追い込み猟と日本動物園水族館協会の決断――」と題した緊急集会が「海・イルカ・人」の主催で開かれました。

今回話題になった日本動物園水族館協会(JAZA)の決断――JAZA加盟水族館に太地の追い込み猟からイルカを入手することを禁じ、世界動物園水族館協会(WAZA)に残留する選択をしたこと—について、一部マスコミの報道に、意味を取り違えた報道が目立つたことを受けての緊急集会でした。

当会は、第Ⅰ部で、JAZAが今回の決断をするまでの経緯を、この件の協働団体PEACEと共に説明し、事務局から辺見栄がパネリストとして参加しました。

配布資料


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集会の趣旨説明

主催である「海・イルカ・人」の渡辺仁史氏が、「海・イルカ・人」設立の経緯と、今回の集会の趣旨を説明し、第1部の「イルカ捕獲問題の経緯説明」に進みました。

 

第Ⅰ部

イルカ捕獲問題の経緯説明

当会は、1976年設立以来、追い込み猟問題を取り上げていますので、設立以来、当会が関わってきた事例を含めて、日本でのイルカの追い込み猟を巡る出来事を、海外事情も含めて、1976年から年代を追って、辺見が説明しました。

その内の一部を以下に紹介します。

富戸のイルカ捕獲違反事件

今から19年前、静岡県富戸で「イルカ追い込み猟の捕獲違反事件」が起きました。日本では、1993年に、イルカ猟の対象になるイルカの種と頭数を規制した「鯨種別捕獲枠」が設定されました。ところが、1996年の富戸の追い込み猟で、捕獲枠に含まれていないオキゴンドウ6頭が捕獲され、水族館に送られました。この違反に対して、日本のNGO約25団体がオキゴンドウの解放を求めて抗議し、結局、オキゴンドウは海に返されました。

太地のオルカ捕獲

翌年、1997年には和歌山県太地でオルカ10頭が畠尻湾に追い込まれ、その内の5頭が水族館に送られ、残る5頭が海に返されました(オルカ捕獲事件動画参照)。この5頭は、すでに全て死亡しましたが、海に解放された5頭も、野生では生き延びることができなかっただろうと言われています。

当時の海外事情

以上の2つの出来事は、国際的な関心と非難を呼び、特に1997年のオルカ捕獲に対しては、海外22カ国、103団体、約800万人にのぼる人の抗議が日本に向けられました。この背景にあるのは、海外と日本のイルカやオルカに対する認識の違い、保護意識の温度差です。当時の海外事情を見てみると、日本との差がはっきりします。

日本で「捕獲枠」の規制ができた1993年には、既にイギリスでは、イルカを飼育する水族館は姿を消しています。1980年代に、野生動物を狭い水槽に閉じ込めるのは問題だとして、飼育基準が厳しくなり、一般人もこれを支持し、水族館でイルカを飼わないことになったのです。

また、この1993年は、ワーナーブラザーズの映画「フリー・ウィリー」が上映され、世界的に大ヒットした年です。これは、水族館のオルカを海へ返す物語で、実在のケイコという名前の雄のオルカがウィリー役を演じました。その後、ケイコを故郷の海に返そうと言う機運が世界各地で高まり、ケイコを故郷のアイスランドの海に返すための準備が急速に進みました。富戸の違反事件は、ケイコが、アメリカのオレゴン州に新設されたリハビリ施設に移された年であり、太地のオルカ捕獲の翌年には、ケイコはアイスランドのヘイマエイ島の入り江に作られた巨大な生簀に移されています。さらに、1994年、EU(欧州連合)は、野生イルカの捕獲や商取引を原則禁止しています。日本で、イルカやオルカが捕獲され、水族館に運ばれていたとき、国際的には捕獲を禁止するだけでなく、イルカ、オルカを水族館から野生の海へ返そうという活動が活発化していたのです。日本に対する非難の背景には、こうした世界の流れがあり、一部で言われている「日本いじめ」や白人至上主義による非難ではありません。余談ですが、当時ケイコを野生に戻したいと募金活動をしていたアメリカの子供たちが、当時の日本の橋本龍太郎首相に、太地のオルカを海に返してほしいと訴えました。当会では、子供たちから来た手紙を首相官邸に届け、せめて何らかの返事をして欲しいと頼みましたが、日本政府からは、何の反応もありませんでした。国際的な感覚から言うと、これは甚だ異例かつ心ないことです。

国際会議「サニーサミット」

2003年、オルカのケイコをアイスランドの海へ返すために「フリー・ウィリー・ケイコ基金」を設立したアメリカの団体が、サニーサミットと題する国際会議を開き、国際的な「イルカ追い込み猟問題委員会」が結成されました。参加した10カ国、約50人が、日本の追い込み猟を国際問題として取り上げ、イルカ猟を行なっている現地を視察するために、委員会から人が派遣されました。
2003年には、シーシェパード(SSCS)が来日して、太地で、イルカを囲ってあった網を切る事件がありましたが、この事件は、サニーサミットからの派遣団とは、全く関係がありません。

WAZAの決議と国連が定めた「国際イルカ年」

2004年、WAZAは台北での総会で、日本のイルカ追い込み猟に反対することを満場一致で採択し、WAZA加盟園館に、追い込み猟からイルカを入手しないように警告を出しました。当会では、この数年前から、WAZAが自ら決めた倫理規範を加盟園館に守らせるように要請してきました。また、JAZAに対しても、WAZAの倫理規範を守るように要請しました。しかし、今回(2015年)のWAZA及びJAZAの決断までに、なんと10年以上の月日がかかったことになります。言い換えれば、JAZAはWAZAの会員でありながら11年間、WAZAの倫理規範を無視し続け、WAZAもそれを容認してきたことになります。なお、WAZAの倫理規範を守ることは、WAZAに入会するための必須条件で、違反した場合は除名されることが明文化されています。

国連が2007年、2008年を「国際イルカ年」と定めたことは、国際的にイルカ類の保護の流れを進めることになりました。国際イルカ年の詳細は、「水族館に関する世界の動向、及び、イルカ・クジラの保護」の1頁目を参照してください。

OPS制作の記録映画「The Cove」以降

2009年、OPS制作の記録映画「The Cove」が日本でも上映されました。イルカの追い込み猟、イルカ肉の水銀汚染問題、水族館産業と追い込み猟の密接な関係を広く知らせる効果が十分にありました。

ここ数年の追い込み猟については、2003年に太地のイルカ猟問題に参入したシーシェパード(SSCS)が毎年、追い込み猟が始まると同時に太地で現地報告を行い、それとは別に、海外のジャーナリスト、報道関係者、活動家が太地を訪れています。また、今では、それとは別に日本の活動家も太地を訪れ、独自の活動を行なっています。

イルカ追い込み猟の歴史的な経緯から分かること

20150620-2ざっとこれまでの経緯を振り返ってみて分かることは、今回の遅すぎたと言えるWAZAの決断とJAZAの決定は、一部の報道にあるように急に湧き出たものでもなく、ましてや、一部のイルカ保護団体の外圧だけが原因で起きたことでもないということです。10年以上にわたる国内外の団体の継続的な努力、それを支持し、自らも活動を続けてきた個人の努力が、一つの流れとなって、膠着していた事態を変え、実現したものだと言えます。世界の動きは、イルカ捕獲ではなく、イルカも含めて「野生動物は野生のままに」という方向に流れています。(参照:「水族館に関する世界の動向、及び、イルカ・クジラの保護」)

ここ数年のイルカ追い込み猟への取り組みについては、関係団体のホームページに掲載されています。イルカの追い込み猟が食肉用の屠殺と、水族館用の生体捕獲の2面性を持つことから、私たちNGOは、この両面に対応してきましたが、今回のWAZA・JAZAを巡る出来事は、イルカの海外への売却も含めて、生体捕獲に関する問題であり、食肉用の屠殺とは、直接的な関係は全くありません。ましてや、捕鯨問題とは全く別の問題です。

これまでの報道に、この水族館問題を捕鯨問題やシーシェパードの活動と混同したり、追い込み猟による食肉用のイルカの屠殺を持ち出したりする記事やTV番組が目立ったことから、今回の緊急報告会となりました。当日配布したものですが、参考に、関係5団体がメディアから受けたアンケートに対して送った回答を掲載します。この回答からも、今回の事件の真相を読み取ることができると思います。

日本の水族館が大きく変わるきっかけとなった今回の直接的な事件の経緯については、PEACEの代表東さちこ氏が、引き続きスライド(PDFはこちら)を使って説明しました。

第2部

20150620-3坂野正人氏の司会進行で、坂野氏の質問に各パネリストが答えるかたちで行われました。また、参加者に自由に発言して頂き、必要な場合にはパネリストが会場からの質問に答えました。多くの参加者からさまざまな意見を頂き、大変参考になりました。

太地町が全てを隠して情報を発信しないことの弊害、インパクトのある活動方法、拘束状態が続くと、人間でも、さまざまな拘禁反応が表れること、ドルフィンヒーリングについて、シーシェパードの活動、WAZAの決断には白人至上主義の人種問題があるのでは?という疑念を持つという意見、活動に法廷闘争を含めるかどうかの意見、活動を進めるために分かりやすいチラシが必要とされるという提案、そのための写真の使い方等々、会場からの声は、多岐にわたりました。また、水族館の水槽にいるイルカと野生のイルカの違い、水族館のイルカにとって、何が問題か、イルカの水揚時にどのようなことが起こるか等については、極く短いビデオが上映されました。

一定期間水族館で働いたイルカを海に返したいという提案がパネリストの鈴木邦男氏からだされ、それについても、意見が出されました。

最後に、太地を度々訪れている小宮山聡氏から、最近の太地町の様子の説明があり、イルカ捕獲時の写真、アルビノのハンドウイルカや白変個体のハナゴンドウの写真も紹介され、森浦湾に建設されるという「クジラ牧場」も話題になりました。

以上、多くのことが話され、また提案された一方、まとまった方向や結論は示されずに第2部は終わりました。これは、会場から何の制約もなしに、イルカ問題について思ったことを話して頂きたいという司会進行者の意図したことで、一つのテーマについて、深く掘り下げる議論の場は、先の機会になることと思います。

当日の参加された方々には、アンケートにご協力頂きました。今後の活動に活用、反映させて頂きます。ありがとうございました。

緊急報告会にご参加頂いた方々に、改めてお礼を申し上げます■

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